2019/3/10 妊娠34週で息子を死産

今はただ、もがくしかってない

最悪の一週間

※※※注意書きとして※※※
※ネガテイブな内容を含みます
こういった内容が苦手な方はここでストップで。
読んでからの責任は申し訳ありませんが持てません。
書くべきか、非常に迷いました。
けれど、これを機に大きく動きがあった為、記録として書いて残しておこうと思います。

念の為、もう一度書きますが、ネガテイブな内容を含みます。


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5/19〜5/24までの一週間。
正確には、5/19〜5/28までの10日間。

最悪の10日間を過ごした。

詳しく記録しておこうかとも思ったが、何せ記憶がほとんど無い。
それに思い出すのも苦しくて辛い……

とりあえず、起こった事実だけを簡潔に書いていこうと思う。

 


5/19.
旦那が出張に行った。
行き先は海外。約一週間は帰って来ない。
はるの遺骨が置かれた家に文字通り一人切りになった。
この日から、徐々に食欲が無くなり、体調が傾き始める。
全く眠れなくなっていった。

5/20.
食欲無し。食べても嘔吐。
目眩。足のふらつき。手足の痺れ。身体の震え。一睡も出来ない。

5/21.
あまりの苦しさに母、父に連絡。
真夜中。
『死にたい』
『このままでは死んでしまう』
激しい衝動に襲われる。
午前4時前。
いのちの電話」に耐え切れず電話を掛けた。

5/22.
母が心配し自宅に来る。
しかし、例によって車内で大喧嘩となる。
堰を切ったように泣き出して。
張り詰めていた糸が切れた気がした。
『そこまでして生きたいのか?』
そこまでしてして、生にしがみ付く自分が馬鹿らしくなった。
もう、いいや。
もう、きっと、なるようにしかならない。

母に連れられ一旦実家へ。
それでも落ち着く事が出来ず、電話を掛けまくり、母の制止を振り切ってふらつく足で心療内科へ。
診察を受けながら、ずっと泣いていた。
ずっと、「死にたい」と口にしていた。
診断結果は。
『強い鬱症状が出ています。
こういう時は、一人でいない方がいい。
病院を紹介してもいいけど、すぐには入院は難しいかな…。旦那さんが帰って来るまで待てますか?』
先生に頷いて、抗うつ薬、食欲増進剤、睡眠薬を処方して貰い、自宅へ帰った。

5/23.
記憶が無い。

5/24.
朝、父から電話。
「今から迎えに行くから。鍵だけ開けておいてくれ」
頷いて電話を切る。
この時は、もう、もはや。
待つ事に疲れていた。全てに疲れた。
全てがどうでも良かった。
病院から処方された睡眠薬を取り出し、砕き、全て飲み込む。
ソファーに座り目を閉じた。

白い天井。見下ろす人影。揺れる点滴。誰かに支えられ歩いていた。
気が付いくと、自宅のベッドの上にいた。

5/25.
両親に連れられ精神病院に。
診察の結果。
鬱病です。
入院して治療した方がいいでしょう』
私は鬱病と診断され入院する事になった。

5/25〜5/27.
閉鎖病棟での入院生活。

5/28.
鬱病が良くなるには、3ヶ月は掛かる』
先生はまだ入院していた方がいいと言ったが、私は退院を強く希望した。
先生と旦那と実母を交えての話し合いの結果。

『まだ入院していた方が正直いい思いますが、今回は任意での入院ですし、白春さんの意思を尊重する事にします。白春さんを信じます』

『けど、約束してください。
薬をちゃんと飲む事。それから、絶対に死なない事。白春さんを信じますからね。約束してください』

先生と約束して。私は退院した。


そして、今日、6/2に至る。


5/19〜5/28の10日間。
最悪の10日間を過ごした。
自殺未遂をして病院に運ばれ、入院して退院した。

私は弱い人間です。
ごめんなさい。


強くなりたい。

 

母の日の反応

『さっき、花束が届きました。本当にありがとう。
体調はどうですか?
あれから、ずっと心配していました。』


後日、母から連絡が入っていた。
まさか向こうから連絡が来るとは正直思ってもいなかった。
というか、そもそも花束自体を受け取ってすらくれないんじゃないかと思っていた。

何と返そうか悩んだ。
やっぱりどうあったとしても、謝る気にはならないし……
とりあえず、1ヶ月検診で問題がなかった事。
近いうちに旦那が挨拶に行くかもしれないという事だけを伝えておいた。

それから一応、父にも連絡を入れた。
父からの返信はなかった。

 

その後、しばらくして妹から電話が掛かって来た。

内容はまあただの悩み相談みたいな感じ。
しばらくたわいもない話をした後、電話を切る直前に気になっていた事を聞いてみた。

「お母さん、どう?
この間、母の日だったから一応花束を送ってみたんだけど……」

「あー、花束届いてたよ。今は玄関に飾ってある。
なんかずっと心配してたよ。
『連絡したいけど、こっちから連絡してまた関係が悪化したりしたらあれだし…』って。ずっと言ってる」

妹の話を聞いて驚いた。
親子だし、彼女も母だし、心配してはいるんだろうなとは思っていたけれど、母も同じような事を考えていたとは。
気まずいと思っている、どうしたらいいのか分からないのは、お互いにそうなのかもしれないな。

とはいえ、やっぱりまだ直接会いに行くのは、しばらくは控えたい所ではあるけれども。

次に家族に対して何かアクションを起こせるとしたら、今度は6月の父の日。
物で釣るような姑息な手ではあるけれど、間接的なアプローチがこれ以外には正直思い付かない。
兎にも角にも、今はただただ様子見かな。…と思っている。

こんな筈じゃなかった母の日

※母の日とはほぼ関係のない内容です。
※後半はただただ愚痴になります。

 

5/12の今日は母の日。
カーネーションとお菓子を実家と旦那の実家に送る事にした。

『お母さんに感謝』
勿論、その気持ちも多少はありはする。
けれど、実家の方に関して言えば、今のこの状態をほんの少しでも緩和してくれたらいいなと、正直な所思って送った。

実家とは、火葬後色々あって揉めてしまい、それ以降現在まで全く連絡をとっていない状態が続いている。

 

「これからの事を考えるなら、実家の方に顔だけでも出すべきなんじゃない?」

1ヶ月検診を無事に終えた辺りから旦那は事ある毎に言っていた。

言いたい事は勿論分かるし、私自身にもその気持ちがない訳じゃない。
けれども正直、今更どんな顔をして会いに行けばいいのか分からない。
会って話をするにしても、何を話していいのか分からない。

確かにあの当時、火葬後間も無く、私は身体も心もボロボロでとても冷静な状態ではなかったし、両親も両親でとても冷静とはいえなかった。
私自身も両親に対しての配慮や、実家にお世話になる、厄介になるという気持ちが足りなかったのかもしれない。
というかまあ、そもそもそういう認識ではなかったのだけれども。
たとえ結婚して姓が変わっても、母親が自分の実家に、何かある度にちょくちょく車で帰るみたいに。
旦那がいつも実家にふらっと帰るみたいに。
実家とは普通にふらっと帰っていい場所なのだと今までは何の疑問もなく思っていたから。
それがまさか結婚した途端、こんな事になるだなんて正直思ってもいなかったんだ。

 

『嫁に出したのだからお前はもうB家の人間。A家の人間じゃない。
だから家に置いておく事は出来ない』

母親は、実家のある地元で私を産んだ。
母親も自分の母に同じ事を言われたのだろうか?
どこの家庭でも、結婚して娘を送り出したらこんな感じになるのだろうか?
それとも私がはるを元気に産んであげられなかったから?
はるが居ない私を母親とは認めてくれなかったから?
死産となってしまったら、子供が傍に居なければ、私は母ではないのか?お母さんではないのか?


「確かに気まずいのは分かるし、気持ちも分かるけど、ここはこっちが大人になって、形だけでも頭を下げるべきなんじゃない?」

旦那はそう言うけれど。

結果的には私は実家には帰らなかった。
ならば、一体何に対して頭を下げるというか?
「あの時、冷静に話が出来なくてすみませんでした」って?
「辛くて悲しいのは私だけじゃないのに、周りに対しての配慮が足りずすみませんでした」って?

それって、おかしくない?
おかしいと思うのは私だけ?

あれだけ心待ちにしていたはるの誕生は悲しい死産になってしまって。
火葬したはるはもう、生まれた時の可愛い姿ではなく、焼かれて骨と灰になってしまって。
はるをそんな姿にしてしまったのは、紛れもなく私のせいで。
傷は痛むし、貧血だし。
眠れないし、涙を堪えるので精一杯だし。
それでも、たとえ心無い言葉を浴びせられても、平然と落ち着いて、冷静に振る舞えば良かったのかい?

分からないよ。何度考えても。
悪いけど、そこまで強くはなれないよ。
母は強しというけれども、そこまで強くは振る舞えなかったよ。


……何だか後半愚痴のようになってしまったが。

和解したい気持ちがない訳じゃない。
ただ、そこまでの道筋が今の所全く見えないだけ。

周りが見えていなかった。
自分しかって見えていなかった。
寧ろ自分さえもちゃんと見えていなかった。
当時は確かにそんな感じだった。
実家に行って頭を下げるとするならば、冷静にもう一度話をするとするのならば、恐らく私が謝るべきはそこなのだろう。

嫌な気持ちは当然ある。
だけど、頭を下げる云々よりも、寧ろそこからの方がずっと怖い。
そこから何を言われるのか分からないから。

はるの話、当時の事に触れられると今でも涙が止まらなくなる。
身内だから許されると思っている心無い言葉に今はまだ耐えられるだけの自信がない……

だから、やっぱり直接会うのはもうしばらく避けたい。
だけど、せめて間接的に。
何でもいいからワンクッションが欲しい。
まあきっとどんな事をしたって、どうせ気持ちは伝わりなんてしないだろうけれども。
とりあえずは、何かしらの反応があってくれる事を祈るしかないかな。


……母の日なのに一体何を書いているんだか。


感謝が足りないよな、ほんとに……


こんなんでほんとに、和解出来る時が来るんだろうか?

 

2回目の生理

2回目の生理が来た。
昨日は特にイライラしていたから、もしかしてと思っていたらやっぱりだった。
約1ヶ月ぶり。
もともと生理は不順気味だったが、どうやら今回はほぼ周期通りに来てくれたらしい。

生理周期や基礎体温をしっかり付けている人もいるだろうし、そういうのを管理するアプリも沢山出ていたりするけれど、私はとりあえずブログの方にこうして記録して行こうと思っている。

次の妊娠が可能になるのは、最短でも半年後。
半年は長い。本当に長い。
それに、半年後に運良く妊娠出来たとしても、そこから出産までは更に10ヶ月が必要になる……
本当に本当に長いと思う。


そういえば、今日は母の日だ。
本来ならば母の日とは、普段はなかなか言えないけれど、『お母さんにありがとう!』と感謝の気持ちを伝える日の筈だが、私にとっての今年の母の日は、本来のそれとは全く違うものになってしまった……

まあ、その話は長くなりそうなので、また別に書くとして。

とりあえず、生理が来ました。

 

5/10 月命日

2019/05/10.
昨日ははるの月命日だった。
元気に生まれていたとしたら、はるは2ヶ月になっていた。

昨日はようやく一人で外に出られた。
供える花とお菓子と、おもちゃなんかを買う為に。

あれだけ毎日毎日早く過ぎ去ってくれと思っていたけれど、過ぎてしまえば時が経つのは意外に早い。
1ヶ月目、最初の月命日の時は花を買いに行く際、旦那と一緒だったにも関わらず途中で涙が止まらなくなってしまったが、その時に比べれば、昨日はそれこそだいぶ落ち着いていたと思う。
とはいえ、やっぱり、新生児用のコーナーを一人でうろつくのは辛かった……

『はるの為の物を買い物に来たんだ』
その事だけを考えて。それ以外の事は考えないようにして買い物を済ませ、あとはすぐに帰宅した。


同じような経験をされた他のお母さん達は、一体どうやって過ごしているのだろうか。

因みに2ヶ月が経過した私の今の現状。
・食欲が無い。食べたいと思えない。
・眠れない。もともと寝付きが悪く、熟睡出来るタイプではなかったが、最近はそれが特に酷い。
・テレビを見たくない。
・外に出たくない。
・よく分からない吐き気。
・些細な事で旦那と喧嘩。
・心が常に不安定。

そして、たまにどうしようもなく死にたくなる時がある。

けど、死んではいけない。

『1分1秒を積み重ねる。積み重ねた先にきっと何かある』
『今死んでしまったら、はるが戻って来る事が出来なくなってしまう』

そうやって、必死に必死に自分自身に言い聞かせて。
衝動をなんとか抑え込んで。

なんとか、毎日過ごしている。
なんとか、生きている。

現在の私はほんとにこんな感じ。


とはいえ。
・退院してからずっと、家事はちゃんとこなせている。
・昨日は一人で外に出られた。
・最近は旦那の為に毎朝おにぎりを作って持たせている。
・再就職に向けての勉強も始めた。

まあ、健康面に関しては正直良くはないけれども。
甘いと言われてしまえば、それこそぐうの音も出ないのだけれども。
旦那が居ない日中、一人で永遠と泣いていた1ヶ月目に比べれば、少しはマシになったのかな…とは思っている。

これが果たして、前向きと呼べるのかは正直分からない。
何かが突然変わるような、劇的な変化なんて無いし、そんなものは起こせない。
けれども。
たとえ、それが小さな事からだって構わない。
誰しも最初一歩なんて小さいもの、なんだから。

今は少しずつ、出来る事に手を付けて。
一つずつ、出来る事を増やしていく。

たとえ、それが最善とは言えなくても。
今と時間を積み重ねる事で、少なくとも今よりは前に進める筈なのだから。

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四十九日を終えて

平成が終わり令和へ。
記憶、そして記録として。
ここまで、死産当日〜1ヶ月検診を経て、四十九日を終え、平成の最後となる2ヶ月目までを一気に書いて来ました。
ようやく、ブログが過去の話から現在にまで追い付いたので、ここで私が体験した話は終わりとなります。

もともとブログを開設したのは妊娠8ヶ月の時。
理由は色々ありましたが、ゆくゆくははるが生まれたら育児日記、奮闘記としてブログを書いていくつもりでした。
けれど、残念ながらそれももう叶いません。

今後、このブログで何を書くかは全く未定です。
当時の事や妊娠中の事で思い出した事を書くかもしれないし、次の妊娠までの日々を少しずつ綴っていくかもしれません。

ここまでこのブログを読んでくださった方、改めて心から感謝を申し上げます。
又、コメントやメッセージ等をくださった方々にも重ねてお礼お申し上げます。

『一人じゃないよ』と。
『泣いてもいいよ』と。
『ちゃんとはるくんのお母さんだよ』と言って貰えて。

本当に救われました。
本当にありがとうございました。
はるという息子の存在を知ってくださって。
はるに思いを寄せてくださって。
本当に本当にありがとうございました。

もしも、こうして当時の事をブログとして書いたり、思いの丈を吐き出せる場所がなかったとしたら、もっとずっと回復も遅く、もしかしたら心が壊れてしまっていたかもしれません。
吐き出せる場所がある事に本当に感謝しています。

これから先、私自身どうなっていくのか正直分かりません。
当時の事やはるの事を思い起こすと今でもとても辛いです。
もしかしたら私自身、いまだにはるの事を受け入れられていないのかもしれません。いやきっと、いまだに受け止め切れていないだと思います。
はるが居ない日常は、まるでぽっかりと穴が空いてしまったかのようで。
思い描いていた未来がまた白紙に戻ってしまったかのようで。
喪失感や寂しさ、苦しさに押し潰されそうになりなす。
生きていくのも生きているのも、とても辛く感じてしまいます。
けれども、1ヶ月検診を無事に終え、ようやく少しだけ生きていく希望が持てました。

それでもきっといつか、心が折れてしまいそうになる日が来るかもしれません。

そんな時は、入院中に思った事、考えた事、感じた事を思い出し。
はるの存在を思い出し。
そして、自分で書いた記録や皆様から頂いた温かいメッセージ等を読み返し思い出して、自分自身を奮い立たせ生きて行こうと思っています。

残された私に出来る事はきっと、はるを思って『生きていく事』だと思います。

泣く事を辞めずに。
生きる事を投げ出さずに。
大切な存在であるはるを思って。
私の中に居る、はると共に生きていきます。

私もいつか、辛い経験をしても尚、強く前を向いて頑張るお母さん達のようになれるように。

もがきながらでも、はるを思って生きていきます。

ここまでブログを読んで頂き、本当にありがとうございました。
はるに思いを寄せて頂き、本当にありがとうございました。
心から感謝を申し上げます。

願わくば、このブログや私の経験が同じように苦しむ誰かの少しでも支えとなれる事を祈って。

2019/05/01.白春.