2019/3/10 妊娠34週で息子を死産

今はただ、もがくしかってない

頭の中

妊娠中……
妊婦保険にも入ってあげず
入院準備もまともに出来ず
洋服やおもちゃも選んであげられなくて
常に全てが後手後手……
私もパパも仕事が優先
はるの全てが後回し

あれ?一番大事なのはなんだったの?

一人で暗い部屋の中で過ごしていると、妊娠中の後悔ばかりが浮かんできた。
けれど、今更後悔したってもう遅い。
全てが遅過ぎる。
考えれば考える程、辛くて涙が止まらなかった。

そんな時、ネットで見つけた。
それは、同じように妊娠9ヶ月で死産となってしまった人に対して誰かが投稿した投稿文だった。

『何の為に赤ちゃんは貴方の元に来てくれたのか。たとえ9ヶ月でもお腹の中に居る間は、皆んなを幸せな気持ちにしてくれていたのではないですか?
たとえ短い命だったとしても意味があった筈です。意味のなかった命にしてしまっては、赤ちゃんがかわいそうです』

これを読んで考えた。

この9ヶ月間……
はるくんの意味……

妊娠前の私は関東で働いていた。
転職、引越し、そろそろ結婚を……
色々と考えはしても、なかなかそれらに踏み切れない。
けれども、仕事による昼夜逆転の生活のせいか、徐々に身体と精神を壊し掛けていた。

そんな時、妊娠が判明した。
思わぬ妊娠だった。

妊娠が分かってすぐに今の旦那に報告を。
そして職場に報告をした。
有り難い事にそこは理解のある職場だった。
そしてその結果。

・辛かった、体調と精神のバランスを崩しつつあった仕事を軽減
・色んな人の配慮・気遣い・優しさに触れた
・結果、ずるずると勤めていた会社を退社
・結果的に仕事を辞めやすかった
・寿退社となって、最後は笑顔笑顔、感謝感謝で送り出して貰った

・いつかいつかと言いながら出来ずにいた家からの引っ越し
・ずるずると居座り続けた関東からの引っ越し
・先延ばしとなっていた同棲
・7年間付き合った旦那との結婚

・緊張していた双方の両親への挨拶もなんとか乗り切れた
・辛い東北の冬、慣れない生活、仕事を辞めた喪失感、金銭面節約……全てが一変した辛い生活の中で支えとなってくれていた

入院してからも……

・怖がっていた陣痛の無い帝王切開
・入院中一人じゃなかった
・麻酔で身体が動かない中、ただ会いたい、起き上がってちゃんと抱っこしたい一心で、身体を起こし立ち上がれた
・火葬までの7日間、ずっと一緒に居られた
・身体の回復も早くて、色んな事をしてあげられた
・火葬の前日に退院、それから本や青い花を買いに行けた
・自宅に連れて帰って来れた
・自宅でも君を抱っこ出来た


妊娠中からずっと支えてくれていた。
常に心の癒しと支えだった。

もし一人だったら
もし妊娠していなかったら……
私は仕事を辞めていただろうか?
関東からの引っ越しに踏み切れただろうか?
緊張しまくりの両家への挨拶に耐えられただろうか?
辛い東北の冬、全てが一変した慣れない生活に耐えられただろうか?
身体の動かない閉鎖的入院生活に耐えられただろうか?
ここまでしっかり回復出来ただろうか?


はるくんは……最後までママを支えて行ったんじゃないのか?
こんなどうしようも無いママを、
最後の最後まで支えてくれて
励ましてくれて
導いてくれて
最後の最後まで「本当にどうしようもないな」と思いながら
最後の最後の瞬間まで、
一緒に居てくれたんじゃないのか?

それなのに私は……
はるの存在を無意味にしてしまおうとしていないか?