4/11 1ヶ月検診
2019/4/11.
4月にも関わらず大雪が降った次の日。
その日は1ヶ月検診の日だった。
深呼吸を一つして、外来の受付に行く。
しばらく待つと助産師さんに呼ばれた。
助産師さんが立っていたのは、少し壁の影になり待合室からは見えにくい場所。
そこでいきなりその助産師さんに抱き締められた。
すごく驚いた。
一瞬何事かと固まってしまった。
「見た?」
知らない助産師さん。
妊娠中も入院中も今まで見た事のない人だったが、恐らくははるの事を言っているのだろうと思い「見ました」と答えた。
「辛かったね……
外来の皆んなもうるうるしてたよ」
抱き締められて背中をさすられて言葉を掛けて貰えて。
はるの事を知っていてくれた事に。
これ程までに気遣って貰っている事に。
助産師さんの優しさが嬉しくもあり申し訳なくもあり、同時に悲しさも込み上げて来て。
思わずその場で泣いてしまった。
私が泣いてしまったからか、その助産師さんに連れられ妊娠中腹囲を測っていた小さな個室へと移動する。
「人生何があるか分からないからね……」
見れば助産師さんもまた泣いていた。
「(泣きたい時は)我慢せずに、出したい時に出せばいいから」
しばらくいてもいいという助産師さんの言葉に甘え、少しだけその個室で泣かせて貰ったのち、落ち着いた所で血圧・体重を測って診察へ。
旦那と共に診察室へ入った。
悪露の事や傷の痛みなど、軽く問診を受
け、別室にて下からの内診を受ける。
「次の生理の準備が出来てますね」
エコーには小さな黒い空間が写っていた。
小さくなった子宮。
その空間には、もう何も無い。
はるが居た筈のその場所には、ただ黒い空間が写っているだけだった。
それを見て、また泣いてしまいそうになった。
けれどもその場はなんとか涙を堪える。
もう一度診察室へと戻り、旦那と共に再び先生の話を聞いた。
ブログの方では書き忘れてしまったが、私が死産となってしまった理由は、常位胎盤早期剥離。
先生に話を聞いたが、その原因は分からない、と言っていた。
「最初だとお腹の張りとか胎動が無いとか、なかなか分からないと思うからね。
次は気を付けて、気になる事が少しでもあったらすぐに病院に連絡してくださいね」
「次の妊娠までは半年〜一年あけてください。本当は理想は一年ですけどね。
今回の事もありますので、次の出産も帝王切開となります」
診察の最後に「エコー写真は要りますか?」と先生に聞かれた。
一瞬要らないと答え掛けたが、私はそれを貰う事にした。
その理由はたぶん、罪の意識が消えないから。
自分がしてしまった事、元気に産んであげられなかったその事実はたとえどんな事をしても変わりはない。
帝王切開によるお腹の傷が、私にとっては確かにはるを産んだという消えない証なのならば、
妊娠9ヶ月ののち、はるの姿が消えてしまったこのエコー写真は、私にとっては戒めとなる。
はるを失った悲しさや辛さを忘れない為に。
「これ以上辛い事は無い」と今後自分を奮い立たせる為に。
私はエコー写真を貰った。
こうして、私の1ヶ月検診はとりあえずは無事に終了したのだった。
次の出産も帝王切開。
常位胎盤早期剥離は繰り返す可能性が高く、次の妊娠の際もそのリスクがある。
もしかしたら私はもう、普通分娩で陣痛を感じて赤ちゃんを産む事は出来ないのかもしれない。
それでも。
もう一度赤ちゃんを抱っこしたい。
今度はちゃんと、今度こそはちゃんと元気に赤ちゃんを産んであげたい。
先生の話では『半年〜一年あけて』と言っていた。
最短で半年。半年から次の妊娠にチャレンジ出来る……
勿論、早ければ早い程、今度はそこに子宮破裂というリスクが加わってくる事も分かっている。分かってはいるが……
それでも、忘れられない。
はるを抱いたあの感覚が。
はるを抱っこしたあの幸せが。
はるを死産してまだ1ヶ月。
不謹慎かもしれないが、それでも1ヶ月検診を無事に終えて、次の妊娠可能までの期間が思っていたよりも短いと知って。
少しだけ、生きる希望が持てた。